ONE NIGHT ONLY IN JAPAN BILLY JOEL IN CONCERT 2024.1.24(水)東京ドーム ONE NIGHT ONLY IN JAPAN BILLY JOEL IN CONCERT 2024.1.24(水)東京ドーム

NEWS

ご来場のお客様へのご案内

当日券販売決定!

1/24(水)16:30より、東京ドーム22番ゲート横 当日券売り場にて発売!!

追加席 2次販売決定!

1/17(水)正午より先着受付開始!!

VIP SS席、VIP S席の特典詳細も公開!

会場引き換えの限定グッズ情報、会場物販優先販売スケジュールなどをチェック!!

会場で販売するグッズを公開!

日本公演限定アイテムも多数販売!お見逃しなく!!

ステージプラン確定につき、追加席の販売が決定!

12/18(月)正午より申込受付開始!!

永遠のピアノマン、16年ぶりの来日公演!チケットの詳細が決定!

最速!ウドー・プレミアムメンバーズ先行が明日9/2(土)正午スタート!!

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TICKETS

20241.24Wed

OPEN 17:30 / START 19:00

東京ドーム

当日券販売決定!

期間
1/24(水)16:30〜
席種
未定
販売場所
東京ドーム22番ゲート横
当日券売り場
  • 席種は未定です。見切れ席を含む場合もございます。
  • 見切れ席は、出演者・ステージ及び演出が見えにくいお席です。購入後は座席位置の変更、返金対応など一切行う事ができませんので、予めご了承ください。
  • お支払いには、現金、クレジットカードをご利用いただけます。
  • 販売枚数に限りがございます。売り切れの場合はご了承ください。

1.17(水)
12:00より受付開始

注釈付きS席

¥24,000(税込)

お申し込みはこちらから

12.18(月)
12:00より申込受付開始

【受付期間:12月18日(月)12:00から
1月8日(月・祝)23:59まで】

注釈付きバルコニー席

¥35,000(税込)

注釈付きS席

¥24,000(税込)

お申し込みはこちらから

VIP SS席SOLD OUT

¥100,000(税込)

ご購入のお客様へ

VIP SS限定グッズ詳細

アリーナセンターブロック指定席 / VIP SS限定グッズ / 物販優先レーン / ウェルカムドリンク / 専用入場ゲート

  • VIP SSチケット限定グッズは公演当日会場でお渡しいたします。
VIP S席SOLD OUT

¥50,000(税込)

ご購入のお客様へ

VIP S限定グッズ詳細

アリーナ指定席 / VIP S限定グッズ / 物販優先レーン / 専用入場ゲート

  • VIP Sチケット限定グッズは公演当日会場でお渡しいたします。
バルコニー席SOLD OUT

専用入場ゲート / 専用トイレ

S席SOLD OUT

¥24,000(税込)

A席SOLD OUT

¥16,000(税込)

B席SOLD OUT

¥12,000(税込)

グループ販売チケット

MASU BOXSOLD OUT

¥35,000(税込)

詳細はこちら
THE 3rd PLATINUM BOXSOLD OUT

¥35,000(税込)

詳細はこちら
SKY TERRACESOLD OUT

¥24,000(税込)

詳細はこちら

チケットを予約・購入する前にお読みください

  • チケットを予約・購入する方法・種類について
  • クーリングオフ対象商品ではございませんので、ご購入手続き後のお客様のご事情によるキャンセル・変更・解約・返金はできません。
  • 公演延期、中止の場合を除き、個人的な体調不良(37.5度以上の発熱、新型コロナウイルス感染、ワクチン接種による体調変化を含む)等のお客様のご事情につきましても対応いたしかねます。予めご了承いただいた上でお申込ください。
  • 演出によっては一部ステージが見にくい座席がございます。
  • 座席によっては一部着席でのご鑑賞になりますので予めご了承ください。
  • チケットの破損・紛失・公演日当日チケット忘れ等、いかなる理由でもチケットの再発行は行いません。
  • 会場への入場にはチケットが必要です。Web上の購入履歴、コンビニのレシート、クレジットカード支払い履歴等での入場はできません。
  • 万が一本公演が中止や延期となった場合、それに伴う会場までの旅費・宿泊費等(キャンセル料含む)の補償はいたしません。
  • ウドー音楽事務所でご購入頂いたチケットを、営利を目的として第三者に転売したり、転売を目的としている第三者に提供する行為を禁止させていただきます。
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  • 6歳未満(未就学児童)の方のご入場は、お断りさせて頂きます。
  • 再入場は不可とさせて頂きます。
  • 開催時の状況や新型コロナウイルス感染防止対策ガイドライン等により、ご案内に変更が出る場合があります。必ず当サイトにて最新の注意事項をご確認ください。
  • 公演グッズの情報は後日当サイトにて発表いたします。
  • VIP SS、VIP Sチケット限定グッズは公演当日会場でお渡しいたします。
  • VIP SS、VIP Sチケット限定グッズの詳細につきましては後⽇当サイトにて発表いたします。

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正規販売ルートはウドー会員サービスまたはローソンチケットに限ります。
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先行販売

ウドー・プレミアムメンバーズ

ウドー・プレミアムメンバーズ 抽選

受付終了 9月2日(土) 12:00〜9月8日(金) 11:00 
※同日18:00当落メール

受付席種:VIP SS席・VIP S席・バルコニー席(2枚まで)

受付終了

ウドー・プレミアムメンバーズ

ウドー・プレミアムメンバーズ 先着

受付終了 9月2日(土) 12:00〜9月13日(水) 23:59

受付席種:S席(2枚まで)

受付終了

ウドー・メンバーズ

ウドー・メンバーズ 先着

受付終了 9月8日(金) 12:00〜9月29日(金) 18:00

受付席種:S席(4枚まで)

受付終了

ローソンチケット

ローソンチケット 先行抽選

受付期間 9月8日(金) 12:00〜

受付席種:VIP S席・バルコニー席・S席・A席・B席にて1回(第5希望まで/4枚まで)
受付席種:MASU BOX・THE 3rd PLATINUM BOX・SKY TERRACEにて1回(第3希望まで/1組まで)
※それぞれ1回ずつお申込みが可能です。複数お申込みされる場合、複数当選する可能性がございますのでご注意ください。
※予約状況により、受付席種に変更が生じる可能性がございます。詳細はローソンチケットサイトをご確認ください。

受付終了

一般販売

ローソンチケット

ローソンチケット

受付期間 9月30日(土) 10:00〜

受付席種:MASU BOX・S席・A席・B席
※ローソンチケットのウェブサイトでのみ販売。

受付終了

お問い合わせ

ウドー音楽事務所03-3402-5999

(月・水・金:12:00~15:00)

BIOGRAPHY

伝説のピアノ・マン、16年ぶり、一夜限り、12回目の来日。
現役バリバリのライヴ・パフォーマーの真骨頂を目撃せよ!

あのビリー・ジョエルが遂に来日する。もちろん、初めてのことではない。ただ、前回の来日から16年近くものインターバルがあった。やはり、‘遂に’との表現がしっくりくるほどの長い、長い歳月の流れであった。1970年代末から1990年代前半にかけて、「素顔のままで」、「ストレンジャー」、「マイ・ライフ」、「オネスティ」、「アップタウン・ガール」、「ハートにファイア」などなど、数々のヒット曲を連発し、ここ日本でも絶大な人気を誇り、スーパースターの地位を築いた‘ピアノ・マン’。1990年代末に「今後は(歌詞付きの)新曲を発表しない」と、レコーディング・アーティストとしての第一線からあっさり退く意向を表明してからも、彼のヒット曲の数々は輝きを失うことなく、2000年代に入っても、CMやドラマの主題歌などに使われ続け、2023年の今もその親しみやすいメロディは人々の心を魅了し続けている。

21世紀を迎え、新曲のリリースが望めない状況下であっても、ビリー・ファンにとって心の支えは、彼が現役バリバリのライヴ・パフォーマーであり続けている事実であった。その尽きることのないコンサートへの需要の高さは、「新曲を出していないのになぜこんなに集まるんだ?」と満杯の観客を前に本人も驚きを隠せない様子で語るほど、圧倒的なものだ。2014年1月に始まったニューヨークのエンターテイメントの殿堂‘マジソン・スクエア・ガーデン’(MSG)でのレジデンシー公演(毎月1回開催の定例公演)は、まさに、その人気の高さを物語るもの。期限を区切ることなく需要が途絶えるまで毎月開催すると発表され、今日まで続いている(新型コロナウイルスにより休止を余儀なくされた期間はあった)。
ただ、この定期公演は、海外のビリー・ファンにとっては、大きな障壁になった。この定例コンサートの開始と同時に、ビリーは公演と公演の間隔を1~2週間ほど空け、体調面のコンディションを最優先にコンサートのスケジュールを組むようになった。そのため、この約10年間に実現した北米以外の海外公演は、イギリス(’16/’18/’23年)、アイルランド(’18年)、ドイツ(’16/’18年)、オーストラリア&ニュージーランド(’22年)の僅か8公演と、数えるほどに減少した。北米以外のビリー・ファンは、生のビリーに飢えた状況が続いていたのである。それはここ日本でも同様で、2008年の来日公演を最後に、待てど暮らせど、ビリーが再びこの地を訪れることはなかった……。

そんな中、今年の6月、「ビリー・ジョエル、MSG定期公演を2024年7月で終了」との見出しでニュースが駆け巡った。同会場での通算150回目にあたる来年7月でのコンサートを最後に、レジデンシー公演を終了するという。もちろん、需要が無くなったからではない。ソールド・アウトが続いている状況での終了宣言は、来年5月に75歳を迎えるビリーにとって、ライヴ・パフォーマーとしての区切りをつける意味もあるのではと勘繰らずにはいられなかった。 もうビリーを日本で観ることはできないのであろう、という勝手な邪推が一層強まっていた7月21日。「ビリー・ジョエル 来年1月24日に16年ぶりの来日公演、一夜限り 東京ドームで」とのビッグ・ニュースが! 青天の霹靂とはまさにこのことだ。
あのピアノ・マンが遂にやって来る! リアルタイムでビリーの紡ぐ音楽に触れた多くの人々が「たった1公演だけ?」と首をかしげたであろうが、その裏事情は前述の通りだ。
「One Night Only」 - 一夜限り。それがいかに非効率的な公演であろうとも、ビリーは、大所帯のツアー・クルーを伴い、大量の機材を輸送し、はるばるこの地まで、日本のファンのためにやって来てくれる。1978年4月の初来日から数えて通算12回目の来日。これが最後? 余計な邪推はもうやめよう。何が起こるか分からないのがビリー・ジョエルである。

いよいよチケットが発売され、一夜限りの公演へのカウントダウンが始まった。現役バリバリの雄姿を目に焼き付けようではないか! 

ビリー・ジョエルの軌跡

1949年: 5月9日、ウイリアム・マーティン・ジョエル、ピアニストを目指したドイツ系移民の父と舞台女優の経験を持つイギリス系移民の母との間に生まれる。ニューヨーク、ブロンクス出身。後に一家は新興住宅地として開発の進むロングアイランドへ引っ越す。

1953年: ピアノ教室に通い始める。同教室ではバレエも教えていたため、「ビリー、今日はチュチュ(舞台衣装)を着ていないのか?」と揶揄されたことからよくケンカに。これをきっかけに、後にビリーはボクシングを学び、アマチュア・ボクサーながら、22勝4敗の好成績を残している。

1963年: 学校の仲間で結成された最初のバンドThe Echoesに加入(後にThe Lost Soulsに改名)。The Lost Soulsは1965年にマーキュリー・レコードからのデビュー話が持ち上がり、ビリーのオリジナル曲My Journey's EndとTime and Time Againをレコーディングするも、結局デビュー話は流れた。

1964年: 2月9日、人気テレビ番組「エド・サリヴァン・ショー」に初登場したビートルズを目撃したことで、運命が決定。本格的にプロのミュージシャンを目指すことに。この年の夏には、シャングリラスのレコーディングに参加するなど、早くも頭角を表す。

1966年: 地元ロングアイランドで人気だったバンド、ハッスルズから声がかかり、加入。高校を中退し、プロ・ミュージシャンとしての活動に本腰を入れる。この時母親に言い放った言葉「コロンビア大学には行けなかったけど、コロムビア・レコードには入れるさ」は、後に現実のものとなる。

1967年: ハッスルズはユナイテッド・アーティストと契約し、メジャー・デビューを果たす。順風満帆に思えたが、1stアルバム“THE HASSLES”(1967年作)、セカンド・アルバム“HOUR OF THE WOLF” (1969年作)共にセールス的には惨敗。ハッスルズは空中分解状態に。

1970年: レッド・ツェッペリンなどのハード・ロックに刺激を受け、ハッスルズ時代のドラマー、ジョン・スモールと世界一のラウドなサウンドを目指し、アッティラを結成。エピックからアルバム“ATTILA”をリリースするも、やはりヒットには至らず、短期間で解散(ビリーの日本でのデビューはこのアッティラ。『フン族の大王アッティラ』のタイトルでリリースされた)。この時期、ビリーは音楽ライターやインク工場でのアルバイトなどを経験。

1971年: アッティラ解散後、ロングアイランドで活動するバンドの精鋭メンバーを集めてエル・プリモウを結成するも短期間で解散。その後、ビリーは精神病院に入院するほど精神を病んだが、周囲の励ましもあり、ソングライターとしての再起を目指してデモ・テープを制作。そのテープがウッドストック・フェスティバルの主宰者として有名なマイケル・ラングの耳に止まり、その知人で新たにレーベル(Family Productions)を興したアーティ・リップに託された。ビリーは、ファミリー・プロダクションと契約し、ファースト・ソロ・アルバム『コールド・スプリング・ハーバー』をレコーディング(11月発売)。ただ、プレスされたLPは、ピッチがずれた欠陥レコードのまま発売されることに。

1972年: 「曲のカタログ集が完成したのだから、コンサートを開いて聴いてもらわねば」と、アーティ・リップに口説かれ、年初よりプロモーション・ツアーを敢行。このツアー時に出演したマリソル・フェスティバル(プエルトリコ)とフィラデルフィアでのFM局におけるパフォーマンスが、ビリーの知らぬところで話題となり、メジャー・デビューの足掛かりに。年末頃、西海岸のロサンゼルスへ移住。

1973年: 年頭からロスのエグゼクティブ・ルームで週6日勤務のピアノ・マンとして従事(約6ヵ月間)。そこでの経験を新曲「ピアノ・マン」としてまとめる。同時期、フィラデルフィアのFM局で披露した未発売の曲「キャプテン・ジャック」が話題となり、A&M、アトランティック、コロムビアの3つのメジャー・レーベルがビリー獲得に動く。ビリーは「ディランのレーベル」に惹かれ、コロムビアと契約。同年11月、シングル「ピアノ・マン」と同名アルバムでメジャー・デビューを果たす。

1974年: シングル「ピアノ・マン」は最高位25位、同名アルバムは27位のヒットを記録。同時に約半年間のツアーを敢行。10月、コロムビアからのセカンド・アルバム『ストリートライフ・セレナーデ』をリリース(35位)。シングル「エンターテイナー」が34位とまずまずのヒットを記録。

1975年: 秋、ニューヨークの財政破綻危機のニュースに触発され、故郷へ舞い戻る。アルバム『ニューヨーク物語』のレコーディングを開始。コロムビアの提案するエルトン・ジョン・バンドのメンバーや大物プロデューサーとのレコーディングに臨むも頓挫。ビリー自身がセルフ・プロデュースを務め、地元ロングアイランド出身のミュージシャンで固められたバンドをレコーディングに起用することに。この時のメンバーがビリーの黄金期を支えるメンバーになった。

1976年: 自信作『ニューヨーク物語』を発売するもチャート的には惨敗(122位)。その反面、ツアーは大成功で、ビリー自身がヘッドライナーを務め、翌年6月まで行われた全米108公演が完売する盛況ぶりだった。

1977年: プロデューサーにフィル・ラモーンを迎え、アルバム『ストレンジャー』をレコーディング(9月発売)。シングル「素顔のままで」の大ヒットに導かれるように、アルバムも大ヒットを記録(最高2位)。「素顔のままで」は1979年の第21回グラミー賞で「最優秀レコード賞」と「最優秀楽曲賞」の主要2部門に輝いた。

1978年: 4月、初来日。約30分で完売したという東京・中野サンプラザ公演は午後2時開演が今でも語り草に(6時からのスコーピオンズの公演が先に決まっていた)。10月、アルバム『ニューヨーク52番街』を発売し、初の全米チャート1位を記録。シングル「マイ・ライフ」、「オネスティ」などがヒットし、アルバムはグラミー賞で「最優秀アルバム賞」と「最優秀男性歌手賞」を獲得した。

1979年: 5月、2度目の来日。東京のみの武道館ツー・デイズのチケットは争奪戦に。

1980年: 3月、アルバム『グラス・ハウス』発売。三度、グラミー賞(「最優秀男性歌手賞」)に輝き、不動のスーパースターの座に。

1981年: 4月、3度目の来日。東京、大阪、愛知、京都の4都市で7公演と、ツアー規模を拡大。秋には、『ストレンジャー』以前の楽曲をライヴ・レコーディングした初のライヴ盤『ソングズ・イン・ジ・アティック』をリリース。

1982年: 鉄鋼業が衰退した街に暮らす若者を歌った「アレンタウン」、反戦歌「グッドナイト・サイゴン」など、深刻な社会問題も取り上げた意欲作『ナイロン・カーテン』を9月にリリース。10月1日、世界初のCDとして『ニューヨーク52番街』と『ストレンジャー』がリリース。

1983年: 8月、前作からわずか10ヶ月のインターバルで、『イノセント・マン』発売。全米1位を獲得した「あの娘にアタック」、噂の恋人クリスティ・ブリンクリー(スーパーモデル)を歌った「アップタウン・ガール」など、計6曲がシングル・カットされるなど、ロングセラーを記録。

1984年: 5月、4度目の来日。東京、大阪、福岡、名古屋の4都市で7公演を実施。5月30日の武道館公演には、日本のトップ・アイドル、松田聖子が客演し、2曲でコーラスを担当した。

1985年: 7月、初のベスト・アルバム『ビリー・ザ・ベスト』をリリース。

1986年: 7月、アルバム『ザ・ブリッジ』発売。CDがアナログ盤に先立って発売され、CD時代の到来を印象付けた。『ストレンジャー』以来の盟友プロデューサー、フィル・ラモーンとはこのアルバムを最後に、袂を分かつことに。

1987年: 6月、5度目の来日。東京と大阪で7公演を開催。7月には歴史的なソ連公演を実現し、話題に。この模様はライヴ盤『コンツェルト-ライヴ・イン・U.S.S.R.-』にまとめられた。

1988年: 7月、CBSソニー創立20周年を記念して開催されたビッグ・イベント「KIRIN DRY GIGS '88」出演のために、アート・ガーファンクル、ボズ・スキャッグスらと6度目の来日。この年の春にオープンした東京ドームに初見参。

1989年: 10月、フォリナーのミック・ジョーンズをプロデューサーに迎えた『ストーム・フロント』が大ヒットを記録。先行シングル「ハートにファイア」はビリー3度目のシングル・チャート1位を記録。

1990年: 6月、ヤンキー・スタジアムで初のロック・コンサートが実現。この模様はテレビ放送の後、ビデオ作品『ヤンキー・スタジアムLIVE』にまとめられた

1991年: 1月、年明けとともに7度目の来日。1月2日、3日の東京ドームでのお正月公演を含め、4都市7公演が実施された。6日の大阪公演にはジョン・ボン・ジョヴィが飛び入り出演。1月3日の東京ドーム公演は収録、TV放映された。

1993年: 8月、『リヴァー・オブ・ドリームス』リリース。初登場1位を記録した。最後に収録された楽曲「ラスト・ワーズ」の歌詞で「この歌詞は俺が伝えておきたい最後の言葉」と意味深に歌う。

1994年: 7月、もう一人のピアノ・マン、エルトン・ジョンとジョイント・コンサート・ツアーを開催。二人のジョイント・コンサートは、2010年まで継続的に開催された。

1995年: 1月、8度目の来日。東京、福岡、大阪、横浜の4都市で9公演を実施。17日未明、滞在先の大阪市内のホテルで阪神淡路大震災に遭遇(クルー一行に怪我人はいなかった)。当夜に開催予定だった公演は、19日に順延となり、コンサートの売上の一部は被災者救済のために寄付された。

1997年: 8月、ベスト盤『ビリー・ザ・ベスト 3』リリース。この頃から、「もう新曲はリリースしない」と公言するように。このベスト盤には、ボブ・ディラン作の未発表曲「心のままに」など3曲のカバー曲が収録されていた。

1998年: 3月、エルトン・ジョンとのジョイント・コンサートのため、9度目の来日。福岡、大阪、東京、名古屋の4都市で5公演を開催。いずれもドーム公演だった。3月31日の東京公演はテレビ放映された。

1999年: 3月、ポール・マッカートニー、ブルース・スプリングスティーンらと共にロックの殿堂入りを果たす。12月31日、MSGでの1000年代最後の一夜にコンサートを開催。「今夜のコンサートを宇宙の中心にしようぜ!」と、歴史的な一夜を盛り上げた。この模様は、翌年5月にライヴ盤『ビリー・ザ・ライヴ~ミレニアム・コンサート』としてリリース。

2001年: 10月、初のクラシック作品集『ファンタジー&デリュージョン~ミュージック・フォー・ソロ・ピアノ』発売。ビリーが書き溜めたクラシック作品だが、演奏はピアニストのリチャード・ジューに託された。
10月20日、9.11の同時多発テロの犠牲者への追悼とチャリティを目的にMSGで開催されたイベント『ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ』に出演。ニューヨークが破壊されるSF作品として書いた「マイアミ2017」を歌い上げた後に「歌の中では避難したけど、俺はどこにも逃げないぜ!」と高らかに宣言し、拍手喝采を浴びた。

2002年: 10月、ビリーの曲で構成されたミュージカル『ムーヴィン・アウト』、ブロードウェイで上演開始。この作品はトニー賞2部門(最優秀編曲賞/最優秀振付賞)に輝き、2006年には日本公演も実施された。また、ロングランとなったブロードウェイの会場には、時折、ビリーが姿を見せ、終盤のコンサートに飛び入り出演することがあった。

2005年: 学生時代のバンドLost Soulsの音源から最新のクラシック作品まで、ビリーの音楽を総括した集大成BOX『マイ・ライヴ』発売。

2006年: 1月、ミレニアム・コンサート以来、久々のソロ・ツアーを開始。MSGでは、ブルース・スプリングスティーンの持っていた同会場での最多ソールド・アウト記録(10公演)を破り、12公演を完売させた。その12公演のライヴ・テイクから編まれたライヴ盤『12ガーデンズ・ライヴ』を6月にリリース。
11月、10度目の来日。東京、札幌、大阪、福岡、名古屋の各ドーム会場で計6公演を実施し、約20万人を動員。変わらぬ人気の高さを見せつけた。11月30日の東京ドーム公演はテレビ放映された。

2007年: 2月、当時の妻ケイティ・リーへの愛を唄った約14年ぶりの新曲「オール・マイ・ライフ」をリリース。この曲では、フィル・ラモーンが1986年の『ザ・ブリッジ』以来、久々のプロデュースを務めた。同年12月には、この年2曲目の新曲「Christmas in Fallujah」を書きあげ、反戦歌に相応しいようにと、若手のシンガー、キャス・ディロンをボーカルに起用し、配信リリースされた。

2008年: 7月、名作『ストレンジャー』のリリース30周年を記念して『ストレンジャー(30周年記念盤)』発売。同月、ニューヨーク・メッツの本拠地シェイ・スアジアムの取り壊しに伴い、この地での最後のコンサート開催がビリーに託された。2日間のコンサートでは、ジョン・メレンキャンプ、ジョン・レジェンド、スティーヴン・タイラー(エアロスミス)など、多数の大物ミュージシャンがゲスト出演。2日目の大トリには、同会場でビートルズとして初めてコンサートを開催した元メンバーのポール・マッカートニーが登場し、観客を狂喜乱舞させた(このコンサートの模様は、2011年に『ライヴ・アット・シェイ・スタジアム』としてリリース)。11月、11度目の来日が実現し、東京ドームで一夜限りのコンサートを開催。1978年の初来日からちょうど30周年ということで、初の日本公演のチケット半券を保管していた人はビリー本人に会えるサプライズ企画が実施された。

2014年: 1月、MSGでのレジデンシー公演がスタート。2024年7月にMSGでの通算150回目のコンサートを機に終了予定。

2018年: 7月18日、MSGで通算100回目のコンサートを開催。1978年12月以降、通算200万人以上がこの会場でビリーのライヴを鑑賞したことに。ビリーの偉業を記念し、ニューヨーク州知事がこの日を同州の「Billy Joel Day」に制定。

2021年: 8月、コロナ禍で休止していたライヴ活動をフェンウェイ・パーク(ボストン)で再開(2020年3月以来)。11月、『コールド・スプリング・ハーバー』~『ソングズ・イン・ジ・アティック』までの7作品と未発表ライヴ『Live at The Great American Music Hall – 1975』 を収めたアナログ盤ボックス・セット『The Vinyl Collection, Vol. 1』をリリース。

2022年: 10月、1990年のヤンキー・スアジアムでのライヴ映像が新編集により、『ビリー・ジョエル: ライヴ・アット・ヤンキー・スタジアム』として劇場公開。翌月には『ライヴ・アット・ヤンキー・スタジアム』 の “完全版“ が2CD+ブルーレイの3枚組でリリース。

2023年: ソロでのコンサートと並行して、元フリートウッド・マックのスティーヴィー・ニックスとのジョイント・コンサートを全米でスタート。 

文/ソリアーノ・タナカ

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HISTORY

ビリー・ジョエル 1978

1978

ビリー・ジョエル 1979

1979

ビリー・ジョエル 1981

1981

ビリー・ジョエル 1984

1984

ビリー・ジョエル 1987

1987

ビリー・ジョエル 1988

1988

ビリー・ジョエル 1991

1991

ビリー・ジョエル 1995

1995

ビリー・ジョエル 2006

2006

ビリー・ジョエル 2008

2008

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TOKYO

2024JAN. 24Wed

DOORS 5:30PM / START 7:00PM

TOKYO DOME

VIP SS Reserved seatSOLD OUT

¥100,000(tax Incl.)

IMPORTANT NOTICE

VIP SS LIMITED GOODS

One VIP SS Seated Ticket in the Arena Center Block / Exclusive VIP SS Merch Item / Access to Crowd- Free Merchandising Shopping / Welcome Drink / Dedicated VIP Entrance

  • VIP merch will be handed out at the venue.
VIP S Reserved seatSOLD OUT

¥50,000(tax Incl.)

IMPORTANT NOTICE

VIP S LIMITED GOODS

Arena reserved seats / VIP S limited goods / Access to Crowd-Free Merchandising Shopping / Dedicated VIP Entrance

  • VIP merch will be handed out at the venue.
Balcony seatSOLD OUT

¥35,000(tax Incl.)

Image of balcony

Dedicated VIP Entrance / Private toilet

S Reserved seatSOLD OUT

¥24,000(tax Incl.)

A Reserved seatSOLD OUT

¥16,000(tax Incl.)

B Reserved seatSOLD OUT

¥12,000(tax Incl.)

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MASU BOXSOLD OUT

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※Please note children at the age of 5 and under are not allowed to enter the venue.

INFO

UDO ARTISTS Inc.03-3402-5999

12:00PM to 15:00PM
(Only Monday,Wednesday,Friday)

VIDEO